2010年04月03日

無限のリヴァイアス総評1

というわけで、欝アニメとかとして紹介されがちな「無限のリヴァイアス」を全話観た。結論から言うと大変素晴らしかった。恐らく本ブログでは観ていない人が大半かと思う。ネタバレを嫌う人がいるなら、これまでの関連文章は全てネタバレ前提で書かれており、本文章も同様なので注意されたい。既に読んでしまったらならご愁傷さまである。気にしない人だけ読んで頂きたい。

一応未見で尚且つアニメなんて見る気はないからこれ読むよ、という人のために簡単な粗筋を引用しておく。

2137年、大規模な太陽フレアによって出現した高密度のプラズマ雲が黄道面を境に太陽系の南半分を覆いつくし、地球も南半球が壊滅、17億もの人命が失われる被害を受ける。このフレアは「ゲドゥルト・フェノメーン」、プラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と名付けられた。2225年、地球の衛星軌道にあった航宙士養成所リーベ・デルタは何者かの襲撃によって制御不能になり、ゲドゥルトの海へ突入してしまう。しかしその時、リーベ・デルタ内部に隠されていた外洋型航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が起動した。教官たちは全員殉職し、リヴァイアスに避難できたのは少年少女ばかり487人。彼らはなぜか自分たちを救助してくれるはずの軌道保安庁から攻撃を受け、戸惑い、混乱しつつもこれと戦い、そして更には密閉された極限状態にある艦内では、艦の指揮権や物資の配給を巡り少年少女同士が陰惨な争いを繰り広げながら、火星圏から土星圏、天王星圏へと当てのない逃避行を続けていく。

まぁ少し極端に簡略化すれば

487人の少年少女がリヴァイアスという宇宙船で漂流してしまい、外の大人などからは救助されず何故か攻撃を受け、行く当てもなく宇宙をさまよい、船内ではドロドロとした人間関係や政治問題、暴力が渦巻く。

といった話。「SF版蠅の王」とも言われ、これも分かりやすい説明となるだろう。

一応ロボットによる戦闘などもあるのだが私としてはこれは本作にとってかなり二次的三次的な要素と見え、正直なくても成立するのではないかという程度のもの。いや現実的にはないと攻撃されて終了なので、なくていいなんて事はないのだが、ただ戦闘などは無印象の危険すらある程に薄いのだ。この点、同監督のギアスなどとは違う点かもしれない。ギアスも本作と同じ程に心理描写や政治や社会問題を描いていたが、同時にロボットの格好良さや、戦闘の面白さも描く事に成功していた。だが本作のロボットは形すらあまり印象に残らず、色も地味で、戦闘も大体があっけない。本作にとっての主軸はどこまでも
人間の心理描写、暴力描写、群像劇にあるのだ。

さて以上は前置き。以上のような調子で平凡な解説に徹するのもいいが、それは他サイトなどに任せる事にしよう。

本作は一つの「漂流もの」である。それは本作が「蝿の王」をモチーフにしているとされる事からも、実際に漂流しているストーリーからも明らかだろう。私はそもそも小説をあまり読まないので漂流ものにはそう詳しくはないが、それはしばしば子供を漂流させる所に特徴があるようにも思う。(当然例外はあろう。特に実録的な漂流記は大人がいるのが当然である)それは蝿の王でも同様、有名な十五少年漂流記でも同様、漂流教室という漫画でも同様(ドラマでは頼れる大人がいたが、どちらにせよ学校という子供が多数の空間が舞台になる)である。何故か、と考察する力は私にはないが、単純に考えて大人だと簡単に切り抜けすぎる(と断じるのも厳密には問題があるだろうが)危険があり、話として面白くならないからかもしれない。未成熟な子供の方が技術的にも心理的にも、漂流という危機的状況では「えらい事」になるのだ。

よく比較されるように十五少年漂流記のような漂流ものはどちらかと言えば性善説的な人間観に立脚しており、人間の連帯・団結について楽観的である。だからえらい事になっても数々の困難を子供達が努力し団結し乗り越えて行く、そういう様を描く事で読者を楽しませる。逆に蝿の王のような性悪説的人間観に立脚した漂流ものは、ドロドロした人間関係や渦巻く暴力や残忍な精神を現実として徹底的に描く事で人間の闇や獣性や残忍さ、悪意をはっきりと我々につきつけ、それを作品の魅力とするのである。

本作は極端に後者の性悪説に立脚しているとはあまり言えない。だが明るいと言う事は絶対に不可能であるし、状況は悪化するばかり、問題は発生するばかり、どう見てもドロドロとした闇の部分を強く描いている事は明らかだろう。間違っても団結して苦難を乗り越えていくぜというアニメではないのである。

従って本作には悪意が渦巻いており、暴力が渦巻いており、苦悩が不和が問題が常にはびこっている。ネーヤという謎多きキャラクターは艦内の人々の心理を代弁するため、状況が悪化している時には悲痛な台詞を沢山話す。これが増々観ている側を陰鬱な気分にさせる。…そして本作の登場人物達はこういった状態を終始脱したがっている。どうにかして脱したいともがいたり、考えたり、あるいは途方にくれたりしている。もがいて何か対策を打ってもその多くは失敗する。空回りしたり理解を得られなかったり、革命が起きたり、優秀だった人間が無能化したり、独裁者が出てきたり、散々な事にばかりなるのだ。

今「革命」と言ったのは別に私が比喩的に勝手に述べている事ではない。この革命という表現が作中実際にチームブルーという集団による「政権」を打ち倒す際に出てくるのである。さすがに「政権」という表現は作中は出てこないが、本作の視聴者、評者の側ではこの政権という表現が多用されている。実際本作は明らかに「秩序」の問題、「法」の問題、あるいは「統治」「政府」「治安維持」の問題を扱っており、その方法や思想をめぐって指導者が転々とするのである。人々はこの指導者が転々とする様を政権が転々とする様と理解するのだが、これは強ち間違いではない。明らかに各指導者がやっている事、やろうとしている事は一種の「政治」であり、彼らは政治的指導者、彼らが降ろされるのは時に革命という政治的暴動、そしてそこでは政権が転々と変わるような現象が起きているのである。

然るに本作の隠れ(?)テーマは「政治」に他ならないと私は考えている。無限のリヴァイアス、これは政治的な作品なのである。

加えて本作が政治的である事とかぶる指摘として本作の舞台・環境が無政府的である事が挙げられる。さらに加えて三つ目の特徴としてリヴァイアスは学校的である事、その舞台は学校的空間である事が挙げられる。

本作が政治的であるのは、リヴァイアス船内では常に犯罪などの問題が発生し、ブリッジの人達(本作のメインメンバーと言っていい)はこれらの問題に対策する必要を迫られる。これらの問題は政治的問題であり、これに対策する事は政治的行為であり統治行為であるからだ。

次に無政府的であるのは言うまでもなく実際にリヴァイアスが無政府状態にあるからである。ブリッジの人達、ツヴァイなどは統治者的であり、その行為が統治的だとは言っても彼らはやはり私人であり、厳密な意味での政府ではない。勿論まさか国家ではない。やっている事や、やる必要を迫られている事が如何に国家のそれと同じだったとしても、彼らは国家ではないし、リヴァイアスは国家ではないし、そこに政府や法はないに等しいのである。だからこそリヴァイアスには殆ど終始、深刻な暴力やその他の犯罪が蔓延している。暴力行使を辞さなかったブルー政権や終盤のイクミ政権を除いて、統治側はまともに暴力を使う事を躊躇った(あるいは出来なかった)のでこれらの問題に十分対応する事が出来ず、艦内はまさに地獄絵図の無政府状態にあった。そしてブルーやイクミが暴力を行使する事で治安を維持した際も結局本質的には無政府状態である事には変わりがない。単に強い私人が私的に暴力を行使する事で別の私的暴力を抑えた、というだけなのである。リヴァイアスには正式の公的機関が存在しておらず、どうあっても無政府状態を脱する事はできない。ただとは言え擬似的な社会状態、擬似的な政府を構築する事は可能であり、それは無駄な事ではない。この状況下ではそれ以外の事が不可能な以上は、擬似政府で擬似社会状態を形成するのが比較的功利的に―ヘイガーが言うように―最善である。

最後にリヴァイアスが学校的であるのは何故か。言うまでもなくそもそも漂流した艦内メンバー全員が元々学校に所属していたメンバーそのままだからだ。リヴァイアスには子供しか乗っていない。それを考えるだけでもリヴァイアスが必然的に学校的空間と化すのは自明だろう。子供だけの空間で、子供だけで共生する。これは学校的な事であり、ややもするとそれ以上にマズイ空間である。(学校は子供「だけ」ではないし教師という大人による統治行為が存在しているため)その他、印象的なレベルでも、リヴァイアス内部で起きている人間間の不和・問題は極めて学校的なものだという事を思う。つまりそこで起きているのは学校で起きるような諸々の事と極めて酷似しているわけだ。共通点はやはり子供が大多数の共同体で多種多様な子供が共存している事だろう。

多種多様な異なる人間同士が共存せざるを得ない場所では、法がなければ殆ど必然的に酷い対立が発生する。(ホッブズの万人に対する万人の闘争状態)無政府状態=自然状態を仮定する社会契約論者が自然状態を乗り越えるべきものとして、社会契約の必要と国家の必要を説くのはそのためである。無政府的なリヴァイアスには本来、政府が、少なくとも擬似的な政府とそれによる統治、法が必要なのである。

リヴァイアスは学校的かつ無政府的である→リヴァイアスには政治が必要である

という流れでリヴァイアスの学校性・無政府性・政治性は説明できる。

そしてここには子供しかいないので、そこで行われる統治、政治、提案される法は不完全で甘いものになりがちであり、従って失敗しやすく、実際に失敗しまくってしまう。それがリヴァイアス艦内をどんどんと泥沼化させていき、地獄絵図のような状態を発生させ、それを我々につきつけてくるわけである。


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posted by Moral Minority at 02:51| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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