2010年04月03日

無限のリヴァイアス総評2

リヴァイアスとは学校である。あるいは少なくとも学校よりさらに酷い学校、子供共同体である。リヴァイアス内では数々のイジメが確認されている。それは時にリンチであり、追い剥ぎであり、レイプですらある。無論それらはイジメというよりは明瞭な犯罪である。ちなみに私は「学校内のある犯罪行為」をイジメと呼んでいる。…と言うより、単に私はそれを校内犯罪としか呼んでいないし、そうとしか呼びたくないのだが世間が勝手にそれをイジメという別名で呼んでいるというのが正しい。だが暴行などを伴なうイジメは明瞭に犯罪であり、それをわざわざイジメと呼ぶ事にさほどの意味があるのか、好ましい意味があるのか私は疑問である。例えば校内暴力の犯人を「犯罪者」とか「加害者」と呼ぶのと「いじめっ子」と呼ぶのでは、その響きの深刻さに著しい差異を感じる。犯罪と言えないイジメも存在するのかもしれないが、そうでない場合は全て単に校内犯罪と呼ぶのが妥当ではないかと私は考えている。

…で、話が少し脱線したがリヴァイアス内では明らかな犯罪行為が蔓延しているのであり、イクミなどの統治側が頭を悩ますのもこの問題なのである。如何に艦内から暴力をなくすか、如何に艦内から犯罪を減らすか、それなのである。

少し強引に話を持っていけばリヴァイアスっていうのは「校内犯罪をどうするか」みたいな話なのだ。今のは少し強引すぎてここまでマトモだったのが一気にトンデモ論評になった感もあるかもしれないが、とりあえずはこういった捉え方で話を進めたい。

より正確にするため、リヴァイアスでの最大の問題は「艦内の秩序をどうするか」であると考えよう。(この把握が偏っているなら単に「私が本作で一番注目していたテーマは」という事で理解してくれて構わない。)そしてこのリヴァイアスという艦は学校的であるため、艦内秩序の問題は校内風紀の問題とも理解できるのである。そしてそれは子供ばかりの共同体で如何に秩序を保つか、如何に子供に道徳的に振舞わせるかという問題を含む。

チームブルーによる政権はこの問題を過剰なまでの暴力、過剰なまでの管理、過剰なまでの抑圧、そして過剰な全体主義によって解決しようとした。実際それは表面上は成功して安定した秩序を保っているように見えた。しかしそれは過剰である故に多くの問題を伴っていた。しかもそこで取り締まられた悪は、明瞭な暴力行為などに留まらず、それを取り締まるのが妥当とは言い難い事も厳しく取り締まられた。締め付けが強すぎ、規制対象が多すぎ、自由がなさすぎたのである。厳しすぎる法や抑圧的すぎる管理に少しでも異を唱えるだけで食事を抜きにされたり、暴力を加えられるような、そういう過剰な全体主義、反自由主義的統治だったのである。

それは統治される側・大多数の一般人の側で、権力者・統治側に対する強い反感・不満を蓄積させていった。同じ統治側と言えない事もないツヴァイなどの間でさえ反感を持たれており、結果的にツヴァイのヘイガーなどが目論んだ革命に大多数の大衆が乗った事で、ブルー政権は革命的に打倒されてしまう。強権的抑圧的な全体主義の敗北と言える。

学校における教育問題、学校における統治問題で言えば、この全体主義の敗北はいわゆる管理教育、かなり厳しく締め付ける種類の管理教育(と言って管理教育と呼ばれるものは大体かなり厳しく締め付けるタイプである)の敗北だとも言える。実際ブルーらが敷いた過剰な管理体制は全体主義体制的であると同時に、管理教育を表明しているような学校の有り様とも酷似していた。そもそも管理教育を採用している学校の有り様自体が多くの場合に軍隊的であったり全体主義的であったり独裁体制的であったりする。ここではこれら全てが同種のもの、同種の統治思想、同種の政治思想に基づくものとしてまとめられていい。

つまりリヴァイアスのテーマの一つは学校統治の問題であり、校内風紀の問題なのだが、ブルー政権に象徴される管理教育的手法は、その過剰な全体主義が子供の反感、さらには統治側の数名の反感を買う事で失敗し、また守るべき風紀の範囲を広く考えた事で、過度に抑圧的になり多くの自由を圧殺し、それ故に全体主義的になってしまい。それ故に革命という最大の不支持を呼び起こしてしまったのである。

繰り返しになるが自由主義者の私の視点から見てブルーの問題は、暴力を行使する事で秩序を保とうとした事それ自体にはない。問題はブルーら自身がどこまでも野蛮で、正義の事などなんら考えてはおらず、自身らが犯罪者集団だった事によっている。(実際チームブルーというのは不良を集めたアウトローグループである)いわば強い犯罪者集団、強い悪人による自分達に都合のいい不道徳な全体主義体制、あるいは正義に基づかない僭主政治なのである。だからその法は様々な欠陥を備えており、その法は道徳性を十分に備えていなかった。それは正義を目的とした法というよりは単に抑圧だけを目的としたような法だったのである。

またもう少し具体的な問題としてはやはり、取り締まり禁止する事柄が多すぎた事、風紀概念の範囲が広すぎた事だろう。自由の居場所が尽く奪われ、しかも権力者だけがそれを味わうような酷い秩序がそこにはあった。打倒されるのも当然だったと言える。

私の考えでは最善の統治のためには、正義に基づき自由を尊重するような法が必要であり、それに基づく管理やそれに基づく暴力行使のみが許容される。ブルー政権は正義に基づく意志もなく、自由を尊重するような意志もなかった。イクミはブルー政権のこの問題点を理解し克服しつつ、一定の管理や暴力は必要と認める事で、主要人物の中では最も進んだ政治思想に到達した人物だと言える。その思想はチームブルーとツヴァイの両極端な政治思想を止揚する事で生まれたものであり、イクミ自身は「馬鹿が馬鹿なりに必死で考えた方法」と謙遜しているが、比較的にはかなりの妥当性を持ったものである。艦内で知能は最も高いと思われるヘイガーがイクミを全面的に支持し最善でユートピアだと言っている事からも、イクミの決断と方法が馬鹿の方法ではない事は明らかだろう。

第二次ツヴァイ政権は影が薄く無印象に等しい。実際この政権はリーダーの指導力のなさもあって無為に近かった。リーダーであるユイリィが最初に提案したポイント制廃止なども即行で他のメンバーに否定される事でボツ。その後もユイリィは意見を出さないか、出しても却下され、殆ど全てヘイガーの意見が通り、実質ヘイガーの傀儡(かいらい)政権となる。「貴方がリーダーをやればいいじゃない」と言うユイリィにヘイガーは「自分は参謀タイプなので、リーダーには向いてない。リーダーには人望のある人間がならなければならない」と答える。ヘイガーはユイリィの人望などだけを形式的に利用したわけだ。

だがヘイガーが裏で操ったからこの政権が成功していたかと言うとやはりイマイチ。そもそもユイリィにあまりにやる気がなさすぎたのだ。ユイリィは後に「私はなりたくてなったわけじゃない」と言ってさっさと艦長を辞任してしまう。注目すべきはこのユイリィ政権が「民主的」な政権だったという事である。まさしくユイリィは民主的に艦長に選ばれたのだ。本人が何を言う間もなく問答無用で、多数決によってユイリィは新艦長に祭り立てられた。結果、やる気のない艦長の下でグダグダな統治が行われ、治安も悪化し、イクミをキレさせ、次に来るイクミ独裁政権を呼び起こす事になる。

こうして見るとやはり本作の政治的な流れはどこまでも「華麗」である。来るべくして次の政権が到来しており、各政権は潰れるべくして潰れている。政権の変化の順番もなかなか納得出来る繋がりを持っているのである。やはり大変優れた作品である。

多数決としての民主的決定は必ずしも最良の指導者を選抜する事はなく、最善の統治を成立させるわけでもない。民主的なユイリィ政権の挫折はこういった民主主義の問題を示していると解釈する事ができる。

それだけではなく、ブルー政権打倒後「じゆうなちつじょ」というタイトルの回がある事からも明らかな通り、ここでは何らの縛りも管理も存在しない自由な秩序の欠陥、いわば過剰な自由主義の問題も示されている事が分かる。本作のストーリーがその問題を暴き出す統治方法は多岐に渡るのである。それは右翼的な管理方法にも左翼的な放任主義(教育における児童中心主義・自然主義)にも矛先を向けている。


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posted by Moral Minority at 02:55| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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